てんせいじんごっこ.blog

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平成28年春場所 白鵬 日馬富士 戦について

琴奨菊の綱取りに始まり、地元大阪出身の豪栄道や、勢、稀勢の里などによる快進撃に、琴勇輝の涙の初金星など大いに盛り上がった今回の大相撲。だが、優勝を決めた結びの一番での白鵬に対して、厳しい言葉が大半を占める後味の悪い千秋楽となってしまった。解説の北の富士さんや舞の海さんも、奇策を取った白鵬については叱責に近い批判を繰り返し、優勝を決めた横綱を称える人は誰ひとり居ないといった状態。しかしこの一番に於いて、僕には感じるものがある。

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先場所優勝した琴奨菊に触発されたのか、今場所での豪栄道や稀勢の里には気迫がこもっていた。だが、共に2敗を喫し自力で優勝決定戦に漕ぎ着けなかった両者に対して、初日の黒星から連勝を続けた白鵬は1敗を守り、千秋楽結びの一番で日馬富士を破り賜杯を手にした。しかしその日馬富士戦に於いて、横綱らしくない、つまり、正々堂々とした相撲を取らなかった白鵬は、優勝インタビューの場で観客からの罵声を浴び続けた。

ここに来るまでの白鵬の相撲内容は、闘志むき出しといえる荒々しさだった。土俵際でのダメ押しや、土俵を割ってから相手の脚を取り叩き落とすなど指導を受ける取り組みもあり、嘉風の下敷きになった井筒親方が救急搬送される一場面もあった。中盤からは、左の張り手から間髪入れずの右かち上げというパターンを貫き、これをまともに食らった力士は口や鼻から血を流し、脳震盪を起こした者も出た。そういった事も重なり、圧倒的な強さを見せつけた今場所での白鵬は、往年の第55代横綱 北の湖を彷彿とさせる憎まれぶりだった。だがその姿は、北の湖とは少し違う。36回目の優勝を勝ち取った白鵬の姿には、先輩であり良きライバルでもあった第68代横綱 朝青龍の顔が重なる。

「横綱の品格」という言葉。我々日本人からすれば考えずともなんとなく理解出来るその意味も、外国人力士には理解し難い思想なのだろうか。いや、そんな事はない。
第48代横綱 大鵬を慕い、北の湖理事長から指南を受けた白鵬は、他の誰よりもその意味を知っている筈だろう。土俵の上だけでなく、常日頃も「横綱」でなければ、他の日本人の誰よりも「らしく」なければならない立場を、彼は重々知っている筈だ。ならば何故、白鵬は此度のような相撲内容に終始したのだろう。そして、千秋楽の日馬富士戦で見せた奇策は、彼が意図したものだったのだろうか。対戦を終え支度部屋で髷を整える白鵬を日馬富士は睨みつけたが、白鵬は日馬富士と目を合わせなかった。日馬富士には白鵬に言いたい事がある。しかし白鵬には、日馬富士に言いたくない事があるのだろう。そこが気になる。

土俵を割ってからのダメ押しなど、敗者に対する情け容赦ない攻撃は解せないが、喧嘩やプロレスなどと批判された白鵬の荒々しい戦い方に異論はない。精彩を欠いた先場所終盤に対し、今場所の白鵬は圧倒的に強かった。年齢による体力の衰えは出ているのだろうが、是が非でも、祖国の父が成し遂げた偉大な記録に並ぶ36勝を達成した白鵬は、間違いなく横綱である。だが、圧倒的な強さとスピードを見せつけた白鵬は、千秋楽の日馬富士戦で真正面からぶつかり合う勝負を避けた。右膝の故障を抱えながらも正面から当たって行き、
あの強烈なかち上げを食らう覚悟で挑んだ、真剣勝負で白鵬に打ち勝ちたかった日馬富士。そこで2敗となった白鵬と稀勢の里との優勝決定戦を待ち望んでいた観客。その全てから、白鵬は逃げたのだ。

僕は思う。白鵬は敢えて真剣勝負から逃げたのだと。卑怯な手を使ってでも勝ちたかったのではない。横綱として、敢えて逃げたのだ。白鵬のかち上げに負けるほど日馬富士はヤワじゃないし、そのかち上げ対策を日馬富士は考えていた筈だ。だが、仮にそこでがっぷり四つに組んだとして、今の日馬富士に力で白鵬に競り勝つ事が出来たであろうか。そこで中途半端な倒れ方をすれば、同じモンゴル出身の横綱同士、八百長との批判を後に浴びるかも知れない。それとは別に、土俵際まで追い詰められた日馬富士の右膝に自分と白鵬の体重の全てが伸し掛かったら、その重みに日馬富士の膝が耐えられただろうか。最悪の場合、次の場所は欠場するだけでなく、土俵を去らなければならなくなる可能性もあっただろう。その最悪のシナリオから白鵬は逃げたのだ。だとすれば、日馬富士は真剣勝負の場に於いて、情けを掛けられた事になる。日馬富士にとって、それほど屈辱的な事はない。これほどの侮辱はない。日馬富士が白鵬に問いたいのは、そこなのだろう。だが、その真意が白鵬の口から語られる日は来ないだろう。優勝のインタビューを受ける白鵬に笑顔はなかった。罵声を浴び続け、言葉を詰まらせ長い間を置く場面も見られた。こうなる事は予想していただろうし、それを受け止める覚悟も出来ていた筈だ。しかしその現実は、自分が想像していた以上のものだったのだろう。
堪え切れずに涙もこぼれた。悔しかっただろう。言い返したかっただろうが、それが許されないのは承知の上だ。大きな横綱が、いじめられっ子のように泣いていた。白鵬にとってあの場面は、完全なアウェイだった。孤独だった。堪える事しか出来なかったのだろう。辛かったと思う。だが、その次に繋げたい思いが白鵬にはあるのだと僕は感じる。大相撲を背負って立つ横綱白鵬は、この先を見つめ、全てを飲み込んでいたように映った。

冷静に振り返れば、猪突猛進の一手しか取れない日馬富士にも非があるのだ。いなされても土俵際で踏み留まれない不甲斐なさを嘆くべきなのである。日馬富士に琴奨菊、照ノ富士や豊ノ島にせよ、体調を万全に整えての相撲が取れていない。怪我を押して、無理をしてでの立合いでは、今の白鵬に勝つ事など出来ないのである。だからこそ、次の取り組みで良い相撲を見せられる状態に成っていなければ駄目なのである。白鵬が不様な負け方をするのを待ち望んでいる観衆は多い。満足な相撲を取らせて貰えなかった幕内力士達も、打倒白鵬に燃えているだろう。それこそが、彼の待ち望んでいる状態、白鵬が夢見る希望なのかも知れない。いずれにせよ、悪役を買って出た白鵬は立役者であり、来場所も大いに盛り上がるであろう。自らの記録を樹立するのも然る事ながら、相撲界の為に、横綱としての限界が訪れるその日まで、白鵬は自分の相撲で、全力で戦い続ける所存なのだろう。
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愛は地球を救えない

「愛は地球を救う」というキャチフレーズから始まった番組がある。誰もが知っているであろう、黄色い、24時間やっている、あの番組だ。愛は地球を救う。美しい響きじゃないか。でも、地球を愛で救うとは、どういうことなのだろう。

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あの番組が始まった当時、僕は小学生だった。今でもよく覚えている、その頃の記憶がある。あの番組を放送しているテレビ局の有名アナウンサーT氏。路線バス旅行で居眠りしちゃう、あのオジサンね。そのT氏があの番組に出演していたんですけど、メイン会場の壇上に、いわゆる知的障がい者とかダウン症の子供達を並べてね、カスタネットやトライアングル、ピアニカとか木琴を演奏させたんですよ。「プー・チン・ドン♪」てな感じの演奏。幼稚園の演奏会より劣る、音楽とも呼び難いパフォーマンス。その正面に割って入り、声高らかに、マイク片手にT氏は叫んだ。「この子達だって!やればこれだけ出来るんです!」てね。「いや、全然出来てないし、それが出来たから何なのさ」と思いました。

その気持は今でも変わりません。捻くれた奴だなと思われるでしょうが、自分でもそう思います。僕は、子供のことを「チビっ子」と呼ぶ大人が嫌いでした。この人、子供のことバカにしてんだろうなって思ってました。せめて「おチビさん」と呼びなさい。その方が、まだ許される。大人は自分達が子供を養う側にあるという自覚から、そのような態度に出る。いや、別に「子供が可愛いという気持ちから意図せずそう呼んでいるだけだ」と反論される方も居るでしょうが、それはあんたの感傷的な気持ちであって、相手に対する配慮が足りんのですよ。

最近は「障害者」を「障がい者」と表記するようになりました。障がいを持つ人達に対する配慮から、そう表すように変わったのですが、行き過ぎた配慮は時として差別に通じます。例えば、放送禁止用語とか。NHKが番組に出演した方の発した言葉について、「不適切な表現」と謝罪することが度々あります。でも、その言葉を発した著名人が話された内容には、差別的な意味など含まれていない。逆に、神経質になり過ぎるNHKの方に違和感を覚える。差別的とされる言葉を用いないのが倫理的で正しいというのは、上辺だけの、よそよそしい偽善に感じる。言葉だけを変えたところで、問題の核心を改善するには至らないだろう。

「めくら」「つんぼ」なんて言葉は、僕が子供だった頃には普通に使われていました。足を怪我してピョコピョコ歩いていれば、「びっこ引く」と言いました。これ、言ってはいけない言葉なんですよね。「びっこ引く」の「びっこ」の意味まで考えて話している人なんて殆ど居ませんし、「跛(びっこ)」の意味を説いて叱咤する人なんてのも居ません。僕は左利きなので、自ら「ぎっちょ」と表現します。なんの抵抗もありませんし、負い目もありません。でも、子供の頃に箸と鉛筆を右に直されたのには、少し抵抗がありました。僕としては、左利きの子供を無理に矯正するのは、その子の為に成らないと思う気持ちが大きいです。二の足を踏むようになるんですよね。直感的に行動する場合に、問題が生じるんです。脳が混乱するというか、心に引っ掛かりが残るんですよ。左利きの子供を素直に育てるには、その子の才能を伸ばしたいのであれば、右利きに矯正するのは賢明ではないと思います。

左利きを右利きに直すのは、育ちや家柄という世間体を気にしたことから来る躾です。逆に、左利きだから育ちが悪いなどと言っている人の方が、問題多いですよ。要するに、差別や偏見、先入観にとらわれて、目の前にある現実を直視できない人にこそ、障害があるのではないでしょうか。「障がい者」を「障害者」とする定義には、「健常者より劣っている」という考えが含まれています。現代の日本は工業国なので、効率的な生産性に劣る者は、役不足な訳です。なんだかんだ言ったって、障がい者は社会のお荷物だと思っている人は、潜在的には多いと感じます。例えば、駅の自動改札あるじゃないですか、僕あれ凄く使い難いと感じてたんです。その理由は、僕が左利きだから。そうなんです、基本的に社会は右利き用に作られているんですよ。だから左利きの人は、それに適応するよう術を身に付けるんです。右利きの人から「器用だね」と言われることもよくありましたが、そんな自覚はありません。身体に障がいのある人達は、これの何十倍もの違和感を抱えているんじゃないかな。身近な物で気になるのが、道路脇の歩道。あれ、一段高くする必要あるかなぁ。側道の所で切れてる歩道に、僅かな段差があるじゃないですか。あの僅かな段差に危険が潜んでいると思うんですよ。足腰弱った年寄りは蹴つまずくでしょうし、シルバーカーがひっくり返る危険性もある。お金掛けて危険な歩道作ってる気がします。健常者なら気にならない僅かな段差。そこに日本社会の現状が現れている気がします。

大物関西芸人の付人だった「Jちゃん」って居るじゃないですか。今は「画伯」として知られている彼です。彼は運転免許持ってますし、別に障がい者って訳じゃないんですけど、でもなんか違いますよね、普通の人とは。で、彼の描く絵に物凄い値段が付いたりしてるじゃないですか。あれ、理解できないんです僕。なんか、動物園のチンパンジーが描いた絵に高値が付いたりしてる現象と同じな気がします。どのような人が何を思って買うのか分かりませんけど、現代アートって、行き詰まってて、やり場のない矛先が異次元の作者に向かっているだけな気がするんです。もう人類は、宇宙人の出現か、神の降臨がなければ先に進めない限界点に到達してしまったのだろうか。また話が逸れました。

自閉症の人が描く絵に物凄いのとか、ありますよね。でもあれ、「自閉症の人が描いた」と聞いて、「あぁ!」ってなる訳です。その注釈なしでは、それほどの価値はない。自閉症だから、障がい者だからって理由付きで感動してるのって、偽善っぽくて胡散臭いから嫌いなんです。そもそも、絵を描いてる人に向かって「上手ですね」と褒める人って、レベル低い訳じゃないですか。それって、自分を基準にして賞賛してる訳でしょ。例えば、プロのアーティストに対して「上手ですね」って言う人なんて居ないでしょ。失礼でしょ。それと同じ。障がい者が健常者と同じことが出来ると「凄い」って「褒める」んだよね。それ以上のことが出来ると「感動」しちゃうんです。それ、失礼ですから。例えばね、スティービー・ワンダーの曲って、良いの沢山ありますよね。皆んな知ってます。でも、彼が「盲目だから」とか理由付きで感動している人なんて殆ど居ません。もう、そういうの超越しちゃってるんですよね、スティービー・ワンダーって。だけど、障がいのある人の誰しもが、彼のような才能を持っている訳じゃない。昔の「奇形」とされた人達は、見世物小屋で食い繋いでいた。Jちゃんの絵が売れるのは、体のいい現代の見世物小屋みたいなもんかな? いずれにせよ、障がい者とされる人達が健常者並に食って行くのは、なにかと難しい問題、多いですよね。

唐突ですが、愛ってのは、美しかったり素晴らしかったりするもんですけど、ただ闇雲に愛すれば良いってもんでもない。誤ちを愛しても仕方がない。なんでも愛で片付けようとすると、間違いが起こる。余計な愛もあるんですよ。愛すれば良いってもんでもないし、愛されようとするものでもない。愛というものは育むものであり、自然に湧いて来るもんです。要するに、「愛は地球を救う」なんて台詞は、「感傷に浸った人間の傲慢さ」な訳だ。愛で地球は救えない。救うという態度がおこがましい。地球がその気になったら、人間なんて、ひとたまりもない。人類は、せいぜい地球に嫌われないよう、つましく生きて行くことだ。

戦争体験談の正しい捉え方

 ここ最近、悲しく辛かった第二次世界大戦による自らの体験を、年配者達が語り始めたとよく耳にする。彼等が今日まで固く口を閉ざしていたのは、二度と思い出したくないほどの苦しみから来る記憶。しかし、それを知る生き証人が残り少なくなった今、後世に伝えなければとの義務感から、戦争の悲惨さ、平和の大切さを、子供達に知っていて欲しいと願っているらしい。それ自体はとても素晴らしい事なのだが、それを聞く若い人達には、知っておいて欲しい事がある。

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  僕は戦争経験者ではないのですが、僕の両親は昭和一桁、祖父母は明治生まれという世代。高度経済成長からバブル経済までの間を過ごし、成人として世に出たのはバブル崩壊直後。ロストジェネレーションの半沢直樹は、僕の同級生みたいなもんだ。僭越ながら、そんな世代の僕が敢えて申し上げたい理由は、戦争体験を語っている昨今の人達と同世代の両親に育てられた、僕自身の経験によるもの。幼かった頃には気付かなかった事が今にして分かった、そんな気持ちから来るものなのです。

 僕が義務教育を受けていた頃にも、戦争や原爆の悲惨さを伝える授業のような時間はありましたし、「はだしのゲン」という漫画が連載されていたのは、確か小学3年生の頃だったと記憶する。小学校では映画を見せられたり、中学の頃には、それよりも具体的なドキュメンタリーのような資料も見た記憶がある。高校の修学旅行は沖縄だったので、ひめゆり平和祈念資料館にも行った。広島には行った事がないが、社会人になってから長崎原爆資料館を訪れた事もある。当然の事だが、あのような戦争は二度と起こしてはならないし、核兵器は撤廃すべきだと思う。

 誰もが知っているであろう「火垂るの墓」という映画。とても可愛そうなあのストーリーを観ると、戦争は悲惨なものだと子供達に教えるのには、最適な映画だと感じる。だが、小学6年生の頃に終戦を迎えた僕の母は、あの映画を絶対に観ない。正確には、一度観た事があるのだが、途中でギブアップしたのだ。それ以降、テレビであの映画が放送されると、「やだやだ」と喚き出しチャンネルを変えてしまう。可愛そうだと感傷に浸れないのである。苦しいのだ。それを知る当事者としては、忘れたくても忘れられない経験を持つ者としてのあの映画は、観るに耐えない記憶なのである。

 僕の母方の祖父は、年齢的な問題で徴兵は免れたのだが、技術者として招集を受けている。一級建築士であった祖父は、戦地で兵舎の設計をしたり橋を架けるなど、現場監督兼任で働いていたそうだ。祖父は戦後1年ほどして帰還を果たしたが、兵隊として招集された祖父の弟二人は、骨すら戻って来なかったそうです。母から聞かされた話によれば、祖父も、帝大生だった祖父の弟も、戦争に対しては否定的だったそうです。大東亜戦争に関するドキュメンタリーを観ると、海外の情勢に長けていた知識層の人々がそうであったように、多くの日本人が、あの戦争には心から賛同していなかったのでしょう。しかし当時は今と違い、言論統制や憲兵による厳しい懲罰があった時代。軍に勤める兵隊ならまだしも、赤紙で招集された多くの民間人は、お国の為というよりも、家族を守る為に戦地へ赴かなければならなかったと感じます。

 正月になると親戚一同が実家に集うのが習わしで、お年玉欲しさに欠かさず通った思い出があります。一同が集った恒例行事で盛り上がると、親達は次第に思い出話をする事がよくあった。そんな時は必ず、戦時中や終戦直後の話になる。疎開した時の話。食べ物がなかった頃の話。空襲で焼け死んでしまった従兄弟の話。そんな時、僕の父は子供達に、必ずこう言った。「俺がお前達の頃には、こんな贅沢な食べ物はなかった。お前達は恵まれている」と。この言葉が僕は嫌いだった。親戚同士の集まりに、しかも、正月というめでたい日に水を差す、折角の料理が台無しになるような言い方だと思った。そう言われると、食べちゃいけないような気にさせられる。「じゃあ食っちゃいけないのか」と反論したくなる。「そう言いながら今同じものをあんたは食ってるだろ」と言いたくなる。そう思い、不味い気分で料理を眺めていると、父は続けてこう言う。「蛇口をひねればお湯が出る、スイッチを入れれば電気が点く、温かくて美味しいご飯が食べられる事に感謝しろ」と。その言いぐさに腹が立つ。この時代にそれらが出来ない生活をしている奴など居ない。ましてや、キサマに「感謝しろ」などと言われる筋合いはない。命令口調で「感謝しろ」と言われて感謝する奴など居ない。極めて不快だった。

 そう聞いて、「親に養ってもらってなにを言う」と思われるでしょうが、僕の父は違うのです。尊敬に値しない男なのです。僕の父は、いわゆる駄目なタイプの総務課長。頭が固く、要領が悪く、話が分からず、無駄な口を利く男。終身雇用でなければ、とっくにリストラされていたでしょう。酔った帰りには必ず機嫌が悪く、家の人間に八つ当たり。女房子供に暴力を振るい、父親だからと威張り腐る。下手の横好きなゴルフ中毒で、週末はおろかゴールデンウィークもゴルフ三昧。それでも、「家族を養う為に働いてくれてる」と言われるだろうが、自分の給料は自分にだけ。僕達兄弟を養ってくれたのは、お母さんでした。家と土地は祖父母が与えてくれたもの。父親の世話になっているどころか、迷惑を掛け続けてばかりの人間のクズでした。子供の頃、父親に対する不満を近所の人に愚痴ったら、「お父さんの陰口を言う悪い子だ」と罵られ、挙げ句の果てには告げ口され、それに腹立てた父親に殴られる。世の中は、「お父さんは一家の大黒柱」という考え方が常識的な風潮。背広着て愛想よくしてりゃ、そんな人間には映らない。DVってのは、そういう固定観念の上に暗躍するもんなんです。

 ちょっと話がズレたようですが、ここが大事な要点なんです。僕の父親は、敗戦の焼け野原から日本を復興させた首脳でもない。日本を世界に誇れる工業国として牽引して来た企業戦士でもない。そのような思想も、哲学も、実力もないまま、ただ時流に乗っかって恩恵にあやかって来ただけのスーダラ社員。しかし、「恵まれた時代に生まれた事に感謝しろ」と恩着せがましく言う父親に対し、祖父母は何も語らない。語らないどころか、その場を去ってしまうほどだった。これは僕の祖父母に限った事ではない。祖父母に近い年齢の年寄りも、皆一様に戦時中の話となると、遠くを見つめるような顔をして話をはぐらかそうとする。仮に何かを言ったとしても、「まぁ、今が平和なんだから良かったじゃないか」みたいな事しか口にしない。僕は戦争に行った事がある老人に会うと、必ず「どんなでしたか?」と聞くようにしていたが、饒舌に語る人には会う事ができなかった。仮に武勇伝など自慢気に語る元帰還兵が居たとしても、嘘を言っているのかバカなのかのどちらかだろう。先陣を切り、勇猛果敢に戦った人は、皆死んでしまったのだ。

 僕が大人になって気付いた事、祖父の世代と父の世代との違いは、戦争に行った人と、その人を待っていた人との違いにある。待っていたにしても、主の帰りを待っていた妻と子供とでは、大きな隔たりがあるという事。つまり、戦争中に養う側にあったか、養われる側に居たのかで、立場が全く違うのである。戦前に生きたか、戦中に育ったか、戦後に生まれたかでは、戦争に対するスタンスが全く違うのです。戦時中に満足な食事にありつけなかった僕の父より、満足な食事を与えられなかった祖母の方が、よほど辛かったのだと僕は思う。戦後70年の今、若い人達からすれば皆同じ年寄りに見えるだろうが、90代、80代、70代では、戦争に係わった大人、戦争に巻き込まれた子供、戦争による食糧難の中で育った赤ん坊という、大きな違いがあるのです。ましてや、今の国会を動かしている政治家の重鎮達は、戦後に生まれた団塊世代がウジャウジャ居る。そこをよーく知っておいて欲しいのです。寡黙であった祖父。無駄口を叩く父。勝手な事ばかり言う団塊世代(僕の場合は学校の先生とか会社の上司)。さて、誰の言う事を信じれば良いのでしょう。

 「美しい国 日本」と唱えている世襲議員は、偉大なる祖父の墓前で、己の思想を雄弁に語る事ができるのだろうか。先の戦争を引き起こした人達。その戦争に反対した人達。戦争とは直接関わりのない平和な時代を生きて来た我々は、その記録を書物や映像で知る事ができる。だが、戦争を体験した人達に問う事は、もうできない時代になって来ている。
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