てんせいじんごっこ.blog

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「これはペンの暴力」問われる報道倫理

sankei_news.png

民主党の前原誠司政調会長が23日、定例の記者会見で本紙記者を排除した。前原氏の言動を「言うだけ番長」と表現した本紙報道は「ペンの暴力」だと主張している。しかし、次期首相候補にも数えられる政治家のこの日の行動は、常軌を逸していると言わざるを得ない。

23日昼、本紙記者は人事異動のあいさつをしようと、前原氏と国会内で接触した。すると前原氏は「君に話があるんだ」と話し、記者を衆院議員会館の自室に連れて行った。

「ことあるごとに『言うだけ番長』と書くのはなぜか。(本社の)会長の名前で正式に文書で回答してほしい。それがなければ今後、産経には政策調査会の取材を認めない」

前原氏は記者にこう通告した。その上で「記事を読むだけで暗い気分になる。これは子供のいじめやペンの暴力の次元だ。回答が来るまでは記者会見も取材も認めない」と語った。

記者は事情を政治部上司に報告。前原氏に再度接触し、どういう内容の回答を求めるのか、文書で提示するよう求めた。この時、前原氏は「考える」と述べるにとどめていた。

こうした状況で、前原氏は本紙記者を記者会見から排除した。この段階で、幹事社の朝日新聞記者が政調職員に抗議。その後開かれた記者会見でも、他社の記者が前原氏の対応への異論や抗議の意を伝えたという。

前原氏の定例記者会見は週2回開催。フリーの記者も参加でき、通常は名刺の提出も求められない。

前原氏は1月31日の記者会見でも、北海道新聞記者に対し「あなたは出入り禁止だ。事実と違うことを書いた。今、すぐ出ていってください」と述べ、記者会見場から退出するよう求めたこともある。

産経新聞と政党をめぐっては、本紙に掲載された自民党の意見広告をめぐり共産党が反論の広告の無料掲載を求めて提訴。1、2審の請求棄却に続き、最高裁は昭和62年に上告を棄却、共産党の敗訴が確定した。この間、同党は産経新聞の取材を拒否した。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120224/stt12022401250006-n1.htm


泥試合だな

『起き上がりこぼし』が起き上がらなかった前原氏はさておき、民主党が叩かれるのは仕方ないとしても、報道各位の低俗な記事は倫理観に欠けるのではなかろうか。これは報道や言論の自由という問題以前の問題。この様な表現で他者を揶揄したり中傷する事で、報道関係者は国民に何を伝えたいのだろうか?

 少なくとも「言うだけ番長」という表現に正義は無い。これを政党と報道、政治家と政治記者という次元から2歩も3歩下がった所から『人と人』の関係として傍観すれば、美しくない事極まり無い。これが『寅さんとタコ社長』の痴話喧嘩なら笑えるが、政治家と政治記者の論争なんだと思うと失笑する。前原氏の言動がどうであれ、その心情は理解出来る範疇にあるだろう。それに対して「常軌を逸している」という表現を用いて抗議する文面に常軌を逸した記者の人格が浮き彫りになっていると思うのだが?「他社も抗議」とあるが、今のところ読売・毎日・朝日の各社は、これに関して『賛同』とまでは表現していない。産経の記者がヒステリックにピーピー騒いでいるだけの体がある。みっともない話だ。

 こういった記事を見る度に思い出されるのが、ビートたけしさんの『フライデー襲撃事件』だ。結果は喧嘩両成敗の様な形で終わった話だが、元を正せば『毒舌とデバガメ』の戦いである。でもって、TVタックルでこの手のやり取りが交わされているならば、それは番組として成立しているので良しと成る。しかし、たけしさんの登場と写真週刊誌の登場によって、いつの頃からか倫理における『タブー』が打ち破られて来た。情報を発信する側に感覚の麻痺があるのは否定出来ない。今回、この記事を書いている記者にとって、この表現は正当なものだという自覚があるのだろうが、今のところ電波に乗って大きく報じられる事件ではないらしい。

 この記事に感じられる問題点は、報道の影響力を充分に理解していない報道関係者にあるだろう。報道関係者は、報道が視聴者に多大な影響を与える事は理解している。しかし、報道の仕方によって報道機関が受ける『視聴者からの印象』にまでは配慮が回っていない事に気付くべきだろう。テレビのスイッチを入れれば、政治家の汚職に始まり、火事・交通事故・殺人事件・薬物事件・芸能人の不祥事など、一日中騒ぎ立てている。これが一人の社会人が喋っている話だとしたら、人格が崩壊しているとしか思えない。事件が起これば騒ぎ立て、その次には震災の被災者を哀れむ様な事を言う。どっちなんだよ、あんたらは。

 嘗て、「貴方達には関係ありません」と言って総理の座を退いた福田康夫元首相。彼の言葉の真意は「あんたらがちゃちゃ入れるから一向に仕事が捗らないじゃないかバカタレ」だろう。メディア関係者、つまり『業界人』は、調子に乗りすぎている自分に早く気付いて戴きたい。アンケートによる総理大臣の支持率なんてデータはどうでもいい、どうせあんたらがこしらえた情報操作による結果でしかないのだから。本気でこの国を何とかしたいという気持ちがあっての報道ならば、正義感を持ってして情報を発信して欲しいものだ。公人である前原氏は晒し者だが、この記事を書いた記者の顔は一向に伺えない。偉そうな記事を書くのなら、記者はカメラの前で公言して戴きたい。

 ごく普通の小学生が普通に抱く疑問に「テレビのニュースは、なんで不幸な話題ばかり流すのですか?」というのがある。この疑問に対して報道関係者は、偽りのない回答を述べられるのだろうか?メディア関係者は、自分達が社会に与えている精神的な影響力を再認識するべき時期に差し掛かっていると思うのは、僕だけではない筈だ。「言うだけ番長」に対する「ペンの暴力」という前原氏の言動は、民主党や前原氏を批判するには絶好の材料である。しかし、この記事に感化されて同じ様な批判を連呼するならば、その者はファッション雑誌を読み漁って、自分が流行の最先端を行っていると錯覚している愚かな消費者に相当する事を知るべきだ。そんな事は誰にでも出来る浅はかな反応でしかない。面白くもなければ、新しくもない。政治家のパフォーマンスにも、報道の情報操作にも騙されない判断力を持ち合わせなければ、石川遼や錦織圭の様な立派な青年の親には成れないのではありませんか?お父さん。
スポンサーサイト

UbuntuでGimpのメニューアイコンが正しく表示されない

gimp_menu.png

 Gimpのドロップダウンメニューアイコンが正しく表示されない。グローバルメニューからツールなどを選択すると、アイコンが全てウィルバー君になってしまう。ところが、マウスの右クリックからメニューを呼び出した場合はアイコンが正しく表示されるのだ。アイコンのテーマを変更した所為かと思ったが、どうやら違うらしい。

gimp_rc_menu.png

 問題は『グローバルメニューとGimpの関係』にあるらしい。グローバルメニューに不満がある場合は、以下の3つをSynapticで削除すればいいそうだ。

appmenu-gtk
appmenu-gtk3
indicator-appmenu


 大きなディスプレイで編集している人には有効な手段だが、ノートパソコンの場合は編集画面を広く取れるグローバルメニューは捨て難い。なので、一先ずGTKのアップデートとGimp2.8のリリースに期待しようと思う。因みに、以下のコマンドでappmenuを無効にしてGimpを起動させると、グローバルメニュー無しの状態で使えるようになる。

$ env UBUNTU_MENUPROXY="" gimp

gimp_unglobalmenu.png

 コマンドを打たずに起動させれば、また元のグローバルメニュー表示に戻るので一度お試しあれ。

新型ミラーレス デジタルカメラ戦争 Part 2

Olympus OM-D
http://olympus-imaging.jp/product/dslr/em5/index.html

 CP+に合わせるように、新しいミラーレスが次から次へと出て来ますねぇ。で、ここに来てやっと自分が思う理想的な形のミラーレスが出た。ただし、マイクロフォーサーズですが。この OLYMPUS OM-Dにはユニークなシステム構成があって、昔のモータードライブのような形でグリップとバッテリーが追加出来る様になっている。会社の不祥事などありましたが、オリンパスは頭がいいというか、商品開発部のセンスがいい。ペンタプリズムが収まる部分に電子ビューファインダーを収めたミラーレス一眼はLUMIX GH2が既に存在しているけど、操作性に関してマニュアルライクなモノはなかったと言えるだろう。僕が拘るのは、フィルムカメラで写真を覚えた人が直感的に撮影出来るカメラ。僕なりに言えば、Nikon FE デジタルのようなカメラが欲しいのである。視認性のいいファインダーで被写界深度を確認しながら、露出計の針にシャッタースピードを合わせるだけのシンプルなカメラ。そんな、撮影に集中しやすい軽くてシンプルなデジタルカメラが欲しいのに、35mmで写真を撮っていた頃の快適さを満たしてくれるデジイチは、なかなか現れて来ない。Nikon D90辺りのモデルがその辺を補っていれば良かったのだが、見難いファインダーと旧ニッコールレンズに対応していない露出計など、ニコンはイライラさせる様なカメラばかり出して来る。CPUを搭載したAFニッコールとFXフォーマットのハイエンドモデルを購入すれば問題は解決するのだが、デカくて重いデジイチは無用。「愛用して来た名作レンズを有効活用出来るデジタルカメラを何故ニコンは出してくれないのだろう」とボヤく僕は、貧乏で偏屈なニコ爺だ。

 ところがだ、PENTAXは分かっている。Kマウントレンズがそのまま使えるミラーレスを出して来た。

Pentax K-01
http://www.pentax.jp/japan/products/k-01/

「トイカメラ?」と思わせるデザインのコイツはなかなかいい。だが、電子ビューファインダー非搭載で、背面液晶パネルは固定式。そして、非常に重い。

ダメじゃん…。

 まぁいいや、とにかくデジイチは僕が考えている方向に進化しつつある。後は予備の電池を何個も持ち歩かなければ、じっくり写真が撮れない様な状況が克服されれば合格だろう。とにかく、未だにデジカメは30年前に発売された一眼レフカメラの機能性に及んでいない。画質やその他に関してはフィルムカメラを超えた部分も沢山あるけど、「写真の撮りやすさ」に関しては不満が残る。そもそも、一眼なんだからファインダーが大事でしょ?子供騙しみたいな機能を満載するなら、ボタンひとつで被写界深度を確認しながら絞りを設定出来て、イメージした通りの作図が出来るのが一眼のいいところ。それが動画でも静止画でも同じ様に操作出来ればいいんだ。

 フィルムカメラの時からだけど、一眼レフはオートフォーカスを搭載してから違う方向に進んで来ている感じがする。カメラ女子なる存在は、やたらと背景をぼかしたがるが、ぼかし過ぎて何だかよく分からない写真が目立つ。最近は単焦点レンズに注目が集まっているが、今頃そんな事を言っているのは、ズームレンズとオートフォーカスに弄ばれた素人丸出しの流れだろう。何でも機械任せにしないで、じっくり写真を撮るようなカメラに触れていれば、こんな事にはならなかった筈だ。木村伊兵衛や荒木経惟の様に日常にある決定的な瞬間を撮りたいなら、ポケットの中にコンデジを常に忍ばせていればいいんだし、スマホで充分だ。土門拳の様に被写体とじっくり向きあう撮り方がしたいのならば、オートフォーカスは要らない。消費者を喜ばせようとした新機能を搭載したカメラが、撮影者の技量というか「心」を弄んでいる様な気がする。高価で高性能なカメラを所有しても、公園の花を撮って価格.COMでウンチクを語っている程度なら仕方がないと思うのだが。その辺に関しては、次回にじっくり触れてみたい。

と書いたところで、どれ程の人が読んでくれるのやら。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。