てんせいじんごっこ.blog

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NHK 特集ドラマ 「ラジオ」 を観た感想

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  http://www.nhk.or.jp/program/onagawa-drama/

原作 某ちゃん
脚本 一色伸幸
演出 岸善幸(テレビマンユニオン)
出演 刈谷友衣子/吉田栄作/安藤サクラ/新井浩文/山本浩司
   藤原薫/夏居瑠奈/豊原功補/西田尚美/リリー・フランキー

 この物語は、東日本大震災の被災地・宮城県女川町に実在する『女川さいがいFM』から生まれたドラマであり、主人公である『某ちゃん』も、実在の人物である。ドラマであるが故、多少のフィクションは含まれているが、その大半は某ちゃんが書いたブログと、脚本家の一色伸幸さんが実際に取材した経験から構成されているらしい。その内容は、一色伸幸さんの言葉にもあるように、今迄にあった『被災地もの』とは、少し違う仕上がりになっている。このドラマには、意図的に感動させようとするわざとらしさが無く、被災地を応援する部外者の白々しさも無い。このドラマから視聴者が何を感じ、何を想うかは、それぞれに託されていると言える作品だろう。

 とても失礼な表現かも知れないが、このドラマで先ず特筆すべきなのは、ナンバーワンに位置する『スター』が不在のキャスティングだろう。実力がありながらもナンバー2・3のポジションに居る役者達が、とても良い塩梅に庶民的であり、実在する現地の人々(敢えて被災者と表現しません)の姿と重なる。この意図的に組まれたであろう地味なキャスティングは、このドラマを制作するには必要不可欠な理由だったと深読みする。なにせ、撮影の大半は、復興はおろか復旧すらままならない現地で行われ、出演者の中には現地のエキストラが多く含まれている。ここに『芸能界』というチャラチャラした雰囲気を醸し出すスター様を連れて来てしまっては、現場が上手く纏まらないであろう。つまり、どの役者も良い感じで芸能界に染まっていない人達ばかりなのだ。実際、俳優達と現地のエキストラとの境界線は非常に低く感じられ、役者やスタッフ達が真摯的な態度で臨んだ撮影が、現地の人々と打ち解けあっている生々しさを醸し出している。ドラマの作風もドキュメンタリーを基調とした仕上がりになっており、適度な緊張感とリアルな空気感が伝わって来る。そこには、東北出身の芸能人が醸し出す「復興支援への情熱」のようなものが無く、等身大の人々の姿が覗えるのだ。

 スター不在とはいえ、このドラマには嘗て「トレンディ御三家」と呼ばれた吉田栄作さんが出演している。芸能活動を一時休止し渡米した彼は、彼の事を「ヒモ」と揶揄した芸能界に対して『実力と経験』という強力な武器を携えて帰って来ている。その役者体が、彼の演じる國枝重治という人物が吐く台詞の『重さ』と絶妙に重なっているのが素晴らしい。僕はNHKのドラマで、『柳橋慕情』の幸田役と、『負けて、勝つ〜戦後を創った男・吉田茂〜』の服部卓四郎役を演じた彼を観た事があるのだが、そのどれもが吉田栄作というブランドを捨て、与えられた役に集中する演技力が素晴らしく、俳優業に挑む彼の真剣な姿には敬意を抱く。また、主人公の某ちゃんを支える両親を演じた豊原功補さんと西田尚美さんは、吉田栄作さんと同じく『人の親』であり、その姿が刈谷友衣子という逸材をも支えている。とても素直な演技をする彼女は、この役に挑んだ事で多くを学んだ事だろう。彼女は、大した代表作も無いのに日本アカデミー新人賞を受賞してしまうタレント女優なんかよりも遥かに良い演技をしていると思うのだが、そのタレント女優に比べて刈谷友衣子は華が無い。その華やかさが足りない故、彼女には無限の可能性が残されている。つまり、まだ何色にも染まっていないのである。

 そして、演出を手掛けた岸善幸さんの大胆さと素朴さも素晴らしかったと感じる。お涙頂だい的な台詞や表現は皆無に等しく、淡々と流れるシーンとシュチュエーションが突き刺さって来る。誇大な表現や華美な演伎を極限まで削ぎ落とし、役者の感情が高まる迄、心と時間をじっくり温めながら撮影に挑んだのであろうと想像するが、ある意味、贅沢な時間を過ごせたに違いない。それは、俳優にも製作者にも貴重な経験になったと思う。映像を拝見すると、撮影には民生用のビデオカメラやデジタルスチルカメラの動画撮影機能を利用したと感じられる部分が多くあり、莫大な予算と壮大なスケールで描かれたドラマに対し、極めて低予算で制作されたドラマの成功例と呼べるこのドラマは、海外の、特に、ヨーロッパの映画祭やドラマフェスティバルに出品すれば、確実に受賞出来る秀作と言える。本当に、とても良く撮れたドラマだった。

 最後に、気になった事と残念だった事をひとつづつ挙げよう。ドラマの冒頭と中盤に某ちゃんが弾くギターの騒音に耐えかね、赤子を背負ったお婆さんが「頼むから止めてくれ」と仮設住宅の戸を叩くシーンがあったのだが、あのお婆さんは女優さんなのか? それとも現地のエキストラだったのかが凄く気になる。そして、Eメールで間接的に某ちゃんを支えた視聴者の飛松を演じたリリー・フランキーさん。ふたりはドラマの最後に初めて出会うのだが、そこで飛松は彼女に本名を尋ねる。しかし彼女は名乗らず、某ちゃんのままその場を去った。それは、某ちゃんが特別な少女では無く、何処にでも居る普通の女の子だという事のイニシエーションと、期待と不安が混在する現れなのだろうが、どこかアンニュイな雰囲気も含まれていた。あれは、うらぶれた姿の飛松に幻滅した某ちゃんの心境を表している様でもあり、良からぬ援助を考えた飛松がフラれた瞬間にも映る。そこは、斜めから物事を見ようとする僕の誤読もあるのだろうが、余りにもいかがわし過ぎる出立ちのリリー・フランキー氏にも責任があると思うのだが、僕の解釈は間違っているだろうか? ともかく、透明感漂う少女がドロドロしたオジサンに汚されなくて良かった良かった。ってのは冗談として、ラストシーンでバスに乗った某ちゃんが聞くラジオの電波は届かなくなり、それが旅立ちの現実味を唐突に表し、東京へ、そして、未来へと漕ぎ出した某ちゃんの強い意志が彼女の瞳に輝いていたあの場面は、色々あった後に、また旅に出る車寅次郎の爽やかさに似て清々しかったのである。
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