てんせいじんごっこ.blog

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戦争体験談の正しい捉え方

 ここ最近、悲しく辛かった第二次世界大戦による自らの体験を、年配者達が語り始めたとよく耳にする。彼等が今日まで固く口を閉ざしていたのは、二度と思い出したくないほどの苦しみから来る記憶。しかし、それを知る生き証人が残り少なくなった今、後世に伝えなければとの義務感から、戦争の悲惨さ、平和の大切さを、子供達に知っていて欲しいと願っているらしい。それ自体はとても素晴らしい事なのだが、それを聞く若い人達には、知っておいて欲しい事がある。

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  僕は戦争経験者ではないのですが、僕の両親は昭和一桁、祖父母は明治生まれという世代。高度経済成長からバブル経済までの間を過ごし、成人として世に出たのはバブル崩壊直後。ロストジェネレーションの半沢直樹は、僕の同級生みたいなもんだ。僭越ながら、そんな世代の僕が敢えて申し上げたい理由は、戦争体験を語っている昨今の人達と同世代の両親に育てられた、僕自身の経験によるもの。幼かった頃には気付かなかった事が今にして分かった、そんな気持ちから来るものなのです。

 僕が義務教育を受けていた頃にも、戦争や原爆の悲惨さを伝える授業のような時間はありましたし、「はだしのゲン」という漫画が連載されていたのは、確か小学3年生の頃だったと記憶する。小学校では映画を見せられたり、中学の頃には、それよりも具体的なドキュメンタリーのような資料も見た記憶がある。高校の修学旅行は沖縄だったので、ひめゆり平和祈念資料館にも行った。広島には行った事がないが、社会人になってから長崎原爆資料館を訪れた事もある。当然の事だが、あのような戦争は二度と起こしてはならないし、核兵器は撤廃すべきだと思う。

 誰もが知っているであろう「火垂るの墓」という映画。とても可愛そうなあのストーリーを観ると、戦争は悲惨なものだと子供達に教えるのには、最適な映画だと感じる。だが、小学6年生の頃に終戦を迎えた僕の母は、あの映画を絶対に観ない。正確には、一度観た事があるのだが、途中でギブアップしたのだ。それ以降、テレビであの映画が放送されると、「やだやだ」と喚き出しチャンネルを変えてしまう。可愛そうだと感傷に浸れないのである。苦しいのだ。それを知る当事者としては、忘れたくても忘れられない経験を持つ者としてのあの映画は、観るに耐えない記憶なのである。

 僕の母方の祖父は、年齢的な問題で徴兵は免れたのだが、技術者として招集を受けている。一級建築士であった祖父は、戦地で兵舎の設計をしたり橋を架けるなど、現場監督兼任で働いていたそうだ。祖父は戦後1年ほどして帰還を果たしたが、兵隊として招集された祖父の弟二人は、骨すら戻って来なかったそうです。母から聞かされた話によれば、祖父も、帝大生だった祖父の弟も、戦争に対しては否定的だったそうです。大東亜戦争に関するドキュメンタリーを観ると、海外の情勢に長けていた知識層の人々がそうであったように、多くの日本人が、あの戦争には心から賛同していなかったのでしょう。しかし当時は今と違い、言論統制や憲兵による厳しい懲罰があった時代。軍に勤める兵隊ならまだしも、赤紙で招集された多くの民間人は、お国の為というよりも、家族を守る為に戦地へ赴かなければならなかったと感じます。

 正月になると親戚一同が実家に集うのが習わしで、お年玉欲しさに欠かさず通った思い出があります。一同が集った恒例行事で盛り上がると、親達は次第に思い出話をする事がよくあった。そんな時は必ず、戦時中や終戦直後の話になる。疎開した時の話。食べ物がなかった頃の話。空襲で焼け死んでしまった従兄弟の話。そんな時、僕の父は子供達に、必ずこう言った。「俺がお前達の頃には、こんな贅沢な食べ物はなかった。お前達は恵まれている」と。この言葉が僕は嫌いだった。親戚同士の集まりに、しかも、正月というめでたい日に水を差す、折角の料理が台無しになるような言い方だと思った。そう言われると、食べちゃいけないような気にさせられる。「じゃあ食っちゃいけないのか」と反論したくなる。「そう言いながら今同じものをあんたは食ってるだろ」と言いたくなる。そう思い、不味い気分で料理を眺めていると、父は続けてこう言う。「蛇口をひねればお湯が出る、スイッチを入れれば電気が点く、温かくて美味しいご飯が食べられる事に感謝しろ」と。その言いぐさに腹が立つ。この時代にそれらが出来ない生活をしている奴など居ない。ましてや、キサマに「感謝しろ」などと言われる筋合いはない。命令口調で「感謝しろ」と言われて感謝する奴など居ない。極めて不快だった。

 そう聞いて、「親に養ってもらってなにを言う」と思われるでしょうが、僕の父は違うのです。尊敬に値しない男なのです。僕の父は、いわゆる駄目なタイプの総務課長。頭が固く、要領が悪く、話が分からず、無駄な口を利く男。終身雇用でなければ、とっくにリストラされていたでしょう。酔った帰りには必ず機嫌が悪く、家の人間に八つ当たり。女房子供に暴力を振るい、父親だからと威張り腐る。下手の横好きなゴルフ中毒で、週末はおろかゴールデンウィークもゴルフ三昧。それでも、「家族を養う為に働いてくれてる」と言われるだろうが、自分の給料は自分にだけ。僕達兄弟を養ってくれたのは、お母さんでした。家と土地は祖父母が与えてくれたもの。父親の世話になっているどころか、迷惑を掛け続けてばかりの人間のクズでした。子供の頃、父親に対する不満を近所の人に愚痴ったら、「お父さんの陰口を言う悪い子だ」と罵られ、挙げ句の果てには告げ口され、それに腹立てた父親に殴られる。世の中は、「お父さんは一家の大黒柱」という考え方が常識的な風潮。背広着て愛想よくしてりゃ、そんな人間には映らない。DVってのは、そういう固定観念の上に暗躍するもんなんです。

 ちょっと話がズレたようですが、ここが大事な要点なんです。僕の父親は、敗戦の焼け野原から日本を復興させた首脳でもない。日本を世界に誇れる工業国として牽引して来た企業戦士でもない。そのような思想も、哲学も、実力もないまま、ただ時流に乗っかって恩恵にあやかって来ただけのスーダラ社員。しかし、「恵まれた時代に生まれた事に感謝しろ」と恩着せがましく言う父親に対し、祖父母は何も語らない。語らないどころか、その場を去ってしまうほどだった。これは僕の祖父母に限った事ではない。祖父母に近い年齢の年寄りも、皆一様に戦時中の話となると、遠くを見つめるような顔をして話をはぐらかそうとする。仮に何かを言ったとしても、「まぁ、今が平和なんだから良かったじゃないか」みたいな事しか口にしない。僕は戦争に行った事がある老人に会うと、必ず「どんなでしたか?」と聞くようにしていたが、饒舌に語る人には会う事ができなかった。仮に武勇伝など自慢気に語る元帰還兵が居たとしても、嘘を言っているのかバカなのかのどちらかだろう。先陣を切り、勇猛果敢に戦った人は、皆死んでしまったのだ。

 僕が大人になって気付いた事、祖父の世代と父の世代との違いは、戦争に行った人と、その人を待っていた人との違いにある。待っていたにしても、主の帰りを待っていた妻と子供とでは、大きな隔たりがあるという事。つまり、戦争中に養う側にあったか、養われる側に居たのかで、立場が全く違うのである。戦前に生きたか、戦中に育ったか、戦後に生まれたかでは、戦争に対するスタンスが全く違うのです。戦時中に満足な食事にありつけなかった僕の父より、満足な食事を与えられなかった祖母の方が、よほど辛かったのだと僕は思う。戦後70年の今、若い人達からすれば皆同じ年寄りに見えるだろうが、90代、80代、70代では、戦争に係わった大人、戦争に巻き込まれた子供、戦争による食糧難の中で育った赤ん坊という、大きな違いがあるのです。ましてや、今の国会を動かしている政治家の重鎮達は、戦後に生まれた団塊世代がウジャウジャ居る。そこをよーく知っておいて欲しいのです。寡黙であった祖父。無駄口を叩く父。勝手な事ばかり言う団塊世代(僕の場合は学校の先生とか会社の上司)。さて、誰の言う事を信じれば良いのでしょう。

 「美しい国 日本」と唱えている世襲議員は、偉大なる祖父の墓前で、己の思想を雄弁に語る事ができるのだろうか。先の戦争を引き起こした人達。その戦争に反対した人達。戦争とは直接関わりのない平和な時代を生きて来た我々は、その記録を書物や映像で知る事ができる。だが、戦争を体験した人達に問う事は、もうできない時代になって来ている。
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