てんせいじんごっこ.blog

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

日本サーフィン発祥の地 太東の波

2020年に開催される東京オリンピックでサーフィンが正式種目に選ばれ、その試合会場は千葉県の一宮に決定しましたが、大会が行われるポイントはTバーで囲われた一宮ではなく、通称「道場」と呼ばれる志田下に決まったようです。一宮の町民にとって、千葉でサーフィンする人達にとってもシンボリックな志田下での開催は当然のような気がしますが、隣接するいすみ市との協賛という内容からすれば、志田下がクローズアウトした場合は太東側で競技を行うことを考慮しての結果だと思われます。その他にも、試合会場の設営や駐車スペースの確保、津波が来た場合の避難経路などを考えると、志田下と太東の両スペースが必要になる。そうなると、火災で廃墟化したままのドライブインや、胡散臭いリゾートホテルを建設する予定の丘陵地はどうなるのでしょう。五輪バブルに便乗して、あの辺りがメチャクチャにならないことを願います。

「瀬のし」や「板子乗り」といったものを除いた日本近代サーフィン発祥の地と呼ばれる場所は、千葉や湘南にいくつかある。それらは戦後日本に駐留していた米兵がサーフボードを持ち込んだことに起因するのが主な理由で、いすみ市(旧岬町)の太東もそのひとつに数えられます。

taitou teibou

太東といえば、上の画像のように堤防に当たって炸裂する波を思い浮かべる人も多いでしょう。サーファーからすれば、この超ナンセンスな堤防は邪魔な存在以外の何物でもない。この堤防さえ無ければ、もっといい波になると考えるサーファーも多いでしょうし、当然のことながら太東がサーフィン発祥の地とされた当初、この堤防は存在しませんでした。そして、サーフィン発祥の地であった太東のサーフポイントは、今とは違う場所にあったのです。

2017-taito.jpg

現在の太東は度重なる漁港の拡張工事によって、こんな形になっています。こんな風に俯瞰から見ると、どうして堤防がこんなイビツな形をしているのかと感じるかも知れません。その答えは、時代を遡ることで明らかになります。

1982-taito.jpg

この画像は1980年代に撮影された太東の様子。右に大きく拡張された漁港は存在せず、港口の位置が違っているのが分かると思います。太東漁港が右に大きく拡張されたのは大型の漁船を停泊させるのと、北から入る波を避けるなどの目的から着工されたのでしょう。

1974-taito.jpg

これは1970年代に撮影された太東の様子。左に大きく張り出した、あのナンセンスな堤防がありません。それ以上に気になるのが、画像左上の砂浜の様子。1980年代には大量の砂が太東側に移動して、シーイーグルの前から志田下に向かって砂浜が大きく後退しているのが分かります。あの邪魔臭い張り出した堤防は、堆積した砂が港口を浅くし船舶の航行に支障をきたすのを防ぐために建設されたのでしょうが、そういった漁港の拡張工事が大規模な海岸侵食の原因になっているのを証明する見本になっていますね。但し、この頃は海岸で砂鉄の採取も行われていたので、それも海岸侵食の原因になっていたことも付け加えておきましょう。

1965-taito.jpg

これが1960年代の太東。黄色い楕円で囲った部分に注目して欲しいのですが、岬に沿ってレギュラーの波がブレイクしているのが確認できます。そして更に注目して欲しいのが、次にある1950年代の太東の姿。

1952-taito.jpg

この画像が撮影された日、海はかなりの大時化状態ですが、漁港の堤防が全くありません。1960年代の画像から推測すれば昔の太東は、黄色い矢印で示したように岬の先端から漁船を引き揚げた岸辺まで、ずーっとロングライディングできるレギュラーの波が炸裂する超一流のリーフブレイクだったんです。これがサーフィン発祥の地、太東の本当の姿なんですね。つまり、本来の太東は、オーストラリアのスナッパーロックスみたいな場所だったってこと。あーあ、無くなちゃった。壊しちゃったよ。もったいねぇ~の。

実際、今でも海水が澄んでいる時に太東漁港の底を覗くと、所々に地磯が顔を見せているのが確認できます。この場所に漁港を建設していなければ、太東は日本国内で指折りのサーフポイントとして、その名を轟かせていたことでしょう。でも、そんなことを嘆いていても仕方ありません。僕個人としては、ここにある船は大原漁港に集め太東漁港を全て撤去して元の姿に戻すのが理想ですが、そんなことは不可能でしょうし、こんなことをいったら地元の漁師さん達に叱られるでしょう。そこで提案です。

2017-taito-2.jpg

この黄色く囲った部分が、1980年代に作られた古い堤防。画像に示された太東港の部分は、今は塞がれて使われていません。つまり、旧港口に砂が堆積するのを防ぐために作られた黄色い部分の堤防は、もう必要のない設備だといえます。これを撤去してしまえば、現在の港口左側からビーチまでロングライディングできる波が出現するはずです。実際、条件が整えば今でも港口左側から古い堤防の手前までサーフィンできる波が立つ場所なのですから、この考え方は間違っていないはずでしょう。

2017-taito-4.jpg

但し、堤防を撤去しただけだと太東海水浴場の砂が大きく削られてしまい、流出した大量の砂が漁港口を浅くしてしまうでしょう。それを防ぐためには、残された堤防の先端から左側に弧を描いて伸びる人工リーフ(潜堤)が必要になると思います。つまり、残された太東漁港の堤防がヘッドランドの役割を果たし、新規に作られた人工リーフがヘッドランドの左翼を担えば、漁港や海水浴場が共存し、なおかつ失われたサーフィン発祥の地、太東の波を取り戻せることになるのです。

2020年に開催される東京五輪で「オリンピック・レガシー」を提唱するのであれば、サーフィンの試合が開催される志田下と太東の「失われた遺産」を取り戻す必要があるでしょう。そのためには、太東海水浴場の右側にある古い堤防を撤去して、新しい環境を構築し、サーフィン発祥の地である太東の波を復活させる必要があるのです。それができなければ、いすみ市には太東がサーフィン発祥の地だと主張する資格など無いに等しい。試合会場の志田下にしても、釣ヶ崎海岸の名に相応しい本来の姿が失われているのが現状なのですから、ここはひとつ、地元の有志やローカルサーファー達が結束して、オリンピック・レガシーの名に相応しい試合会場の実現に向かって活動していただきたい。そんな思いが、僕の中にはあるのです。

【追記】

色々調べて行くうちに分かったのですが、太東がサーフィン発祥の地とされた当初の波は、以下の画像にあるような状態だったと思われます。これらの画像は、1966年(昭和41年)に撮影されたものです。一番最初に造られた堤防の先端からクードラの前まで乗れる、良質なレギュラーの波がブレイクしていたのが確認できます。オリンピック開催前に、この波を是非とも太東に取り戻したいものですね。

MKT665X-C1B-36-web.jpg
MKT665X-C1B-36

MKT665X-C1B-35-web.jpg
MKT665X-C1B-35

出典:国土地理院ウェブサイト
スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。