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《朝ドラ》連続テレビ小説『カーネーション』を観た感想

  carnation
  http://www9.nhk.or.jp/carnation/

脚本:渡辺あや
演出:田中健二・末永創・安達もじり
出演:尾野真千子 麻生祐未 正司照枝 栗山千明 宝田明 十朱幸代 小林薫 他

 人は興奮すると、「ゾクゾクする」という時がある。僕の場合、良い音楽を聞いたり素晴らしい映画やドラマに出逢った時、鳥肌が立ったり背筋に何かがザワザワと走る時がある。恐縮しながらも自画自賛させて頂きたい。僕に鳥肌を立たせた作品は、必ず大ヒットするのです。僕は学生の頃、この微細な感覚を使ってヒットチャートの上位を独占する名曲を言い当ててきた実績があり、それは僕の友人や同級生の間では、広く知られた事実なのです。しかし、歳を重ねると(そう言えるほどの年齢でもありませんが)そういった感覚は鈍くなっていく。つまり、偏見や先入観に阻害されて些細なことでは感動しなくなるものですが、連続テレビ小説『カーネーション』の第一話のオープニングから椎名林檎さんの主題歌が流れだした瞬間、全身の毛が逆立つような感覚を受けたのでした。その時僕の心に響いた言葉は、「大変だ!大変なドラマが始まってしまった!これは一刻も早く誰かに伝えなければいけない」という衝動です。大急ぎで階段を駆け下り、階下で朝食の支度をしている昭和一桁の母のもとへと走り、早朝の喧騒に憮然とした表情の母に向けた挨拶がわりの言葉は「いいから黙ってみろ!」だったと思う。あのミュージカルタッチのオープニングから主題歌に繋がる数十秒は、久方ぶりに味わう芳醇な香りに満ち溢れた珠玉の瞬間でした。このドラマは何かが違う。いや、全てが違うのかもしれない。大風呂敷を広げようじゃないか!間違いない、連続テレビ小説『カーネーション』は、近代稀に見る名作になるだろう

 この気持ちは、回を重ねた今でも変わらない。と言うよりも、僕にとってそれは確信に変わっている。週6回の一話たりとも無駄な回が無いのだ。予想できない展開は良い意味で視聴者を裏切り、意外な結末は笑いと涙を誘う。台詞のひとつひとつが胸に刺さり、何気ないワンシーンが体の中に沁み渡る。役者の汗と吐息、脚本家の才能と想い、演出家を含めたスタッフ全員の心意気がビリビリと伝わってくる。引き込まれ、揺さぶられ、叩き付けられる展開に、もうメロメロです。僕はまるで、両手いっぱいの花束をプレゼントされたような錯覚の中にいる。このドラマには、オートクチュールであつらえた華やかなドレスの中に、手編みのマフラーのような愛情が込められているのだろう。歯が浮くような臭い表現しかできない自分が恥ずかしいのだが、この気持ち、分かって頂けるだろうか。

 カーネーションを観ていて気になったことがあるのですが、それは、「このドラマには秀逸な少女マンガに通じるセンスが溢れている」という感触。大和和紀さんの『はいからさんが通る』とか、椎名軽穂さんの『君に届け』といった、涙あり笑いありの名作と同じく、女性でなければ描けない味が色濃く出ているのです。ちなみに僕は、姉が二人の末っ子長男なので、少女漫画には慣れ親しんでおります。ともかく、このブログにも記さなければいけないので検索してみれば、やはり自分の勘は当たっていました。言っておきますが、後出しジャンケンではありませんからね。でもって、脚本家の渡辺あやさんは『火の魚』という作品で尾野真千子さんと一緒に仕事をなさっています。尾野真千子さんは悲願の末、オーディションによって今回の主演を掴んでいますが、両者共に関西出身ということもあり、関西人の物語であるこのカーネーションという作品に対する気持ちは、お互いに響き合うものがあったのかもしれませんね。台本がクランクインの段階でどこまで書き進んでいたのか気になりますが、撮影と同時進行な部分があれば、作家にとってこのキャスティングは、いい刺激になっているのでしょうね。この関西人による関西人ならではのエッセンスは、脚本やキャスティングだけでなく、ドラマの中の随所に散りばめられているのですが、舞台の中心である岸和田の言葉というのは、同じ関西人からしても難しい微妙なイントネーションの違いがあるそうなので、皆さんご苦労なさっているそうです。幸か不幸か関東の人間である僕にとっては、その辺りは全く気にならないどころか、同郷の人間が一丸となって仕事をしているクオリティの高さが羨ましいくらいなもんです。細かいことを言えば、「大阪と京都と奈良を一緒にするな」とか、「岸和田の地車(だんじり)は、あんなもんと違う」と思われるでしょうが、そういった所が引っ掛からない幸せは、理解して頂きたい。逆に、何気ない端役や脇役に関西のタレントさんや芸人さんが起用されていて、「なるほど、そう来ましたか」と笑えない辺り、悔しくもあります。尾野真千子さんが演じるヒロインの小原糸子が務めた紳士服ロイヤルの店主は、ハーフ系ファッションモデルのカリスマである団時朗さんなのは粋なキャスティング。彼の演じる大将(役名が無いのね)の母は東京出身という設定で、そのことを部下に向かって「俺は大阪と違ってハイカラなんだ」といった感じで自慢する場面があったのですが、そん時の妙な関東なまりは傑作でした。あれ、大阪の人にとっては、どんな感じだったのか気になります。そういえば、日テレのドラマ『ドン☆キホーテ』に出てくる鰯原組長が、鈴々舎馬風師匠だったのも洒落ていた。ともかく、仕事の中にも遊び心を忘れない人達というのは、いくつものサプライズを持ってして我々を楽しませてくれるのだ。

 さて、このドラマのヒロイン小原糸子のモデルは、コシノ三姉妹の母である小篠綾子さんですが、これもまた幸いなことに、僕は小篠さんの著書を全く読んだことがありません。ドラマの原作になった小説や漫画を読んでしまうと、自分のイメージが先行してしまい「ここチョット違うんだよなぁ」なんてことになりかねない。そういう意味では、非常に恵まれた環境で楽しませて頂いています。ところが、僕は数年前にコシノ三姉妹が故郷の岸和田に帰り、3人が母の営む店を覗きに行くという内容の番組を観たことがありまして、狭い店内に広がる大阪定番アニマルプリントの商品の中から、娘達がどこかで見たことある服を次々に発見する場面があったんです。そして、「お母ちゃん、コレは・・・」と口ごもる娘達に向かって放った母の言葉は、「あんたらを産んだのはワタシ、自分の娘のデザイン盗んで何が悪い!」みたいな感じだった気がする。このような矛盾が成立する人格は、小林薫さん演じる糸子の父、小原善作にそのままフィードバックされている感じがいたします。節操のない頑固者の父親は、状況劇場出身の小林薫さん。その母である糸子の祖母は、ドサ回りの旅芸人だったカシマシ娘の正司照枝さん。竹久夢二の美人画のような糸子の母、小原千代を演じるのはグラビア出身の麻生祐未さんです。この適材適所に配属された燻し銀の役者体が、少ない出番の中にも大正時代の人情味溢れる岸和田の家族を具現化している様には、頭が下がる思いです。その木目細かさは制作側にも言えることで、昭和一桁生まれの僕の母曰く、着物の柄からトックリ1本に至るまで妥協がないそうで、それは単に時代考証や季節に合わせるだけではなく、小さな小道具ひとつにも大正ロマンのモダニズムが盛り込まれているという。これらはまさに、針の穴に糸を通す集中力ですね。

 このブログを書いている時点では、糸子はまだ洋裁店の下働きでしかないのですが、この先彼女はいくつもの出会いと別れを経験し、喜びと悲しみを味わいながら生きて行くのだろう。そしてまた、これから数多くの個性豊かな俳優陣が登場するこのドラマ、一話たりとも見逃せない。評判の良かった『ゲゲゲの女房』第一話の視聴率は史上最低。カーネーションの初回の視聴率は、前作の『おひさま』には及ばなかったが、その数字は傷を舐め合う偽善に満ちた駄作によって、視聴者を引き止められなかった失態の結果でしかない。この物語には、それを巻き返す以上の力があるのです。主役の尾野真千子は、既に小原糸子という役柄と同化している。男尊女卑が当たり前だった大正時代から激動の昭和史を、力強くもはんなりと駆け抜けるオノマチの糸子が、ヘコタレた今の日本に喝を入れてくる。それはまさしく母の愛であり、贅沢に溺れた現在の日本人が忘れた、お金に換えられない大切な気持ちを呼び覚ましてくれる。こんな素晴らしい物語を、茶の間で鼻糞ホジホジしながら観させてもらえるのだ。「僕は日本人で良かったなぁ」と再確認させてくれるNHK大阪放送局には、ただ感謝するのみであります。

 それにしても、栗山千明という俳優さんは、これほどまでに麗しい女性だったとは知らなかった。そして、尾野真千子さんの表情は、ある時は神々しいほど美しく輝き、またある時はえらく不細工にも映る。女の人というのは、常に自分を可愛く見せようとする僻があるのですが、男からすればメッキが剥がれた女ほど、見るに耐えないものはない。糸子は男の気を引くための愛想笑いなどしない真っ直ぐな娘、役作りをしながらも、自分をよく見せようとする欲なんて、彼女の頭の中には微塵もないのだろう。こんな豊かな表現力を長丁場で発揮できる役者は、滅多にお目に掛かれない。NHKの『スタジオパーク』に小林薫さんが出演なさった時、談話の中に「彼女は台詞だけでなく、感情までもしっかり準備して役作りをしている」という趣旨の話をされていました。そして、「連ドラの収録とは、一時間半のドラマを毎週撮影しているようなもの」ということを伺うと、彼女がこの役に賭けている情熱が伝わってくる。連ドラのヒロインとは、芯のない役者には成し得ない仕事なのでしょう。糸子が見せる表情には、尾野真千子という役者の人柄が滲んでいるのかもしれません。最後にひとつ、赤いカーネーションの花言葉は『母の愛・熱烈な愛・真実の愛・哀れみ』などがあるそうです。



【追記】

 今にして思えば、連続テレビ小説『カーネーション』のクランクインは2011年の5月頃。その時、阪神淡路大震災を経験している関西の人達が「今ここで自分達は何をするべきか」という気持ちから、役者とスタッフの全員が心をひとつにして、この作品に取り掛かった背景が伺える。しかし、インタビューやプレスを見ていても箝口令を敷いたように、そのような言葉を並べたものは殆ど無いに等しい。メジャーリーガーの鈴木イチローさんは、様々な団体に毎年多額の寄付をしているにも拘らず、自らそれを表に出そうとしない。「知る者は言わず、言う者は知らず」政府や企業が様々な活動をしている中、労いや弔いの言葉を述べるよりも「今私にできることは、これしかないんです」という本当の気持ちは、凍てつく冬を迎える三陸の地に必ず届いているだろう。「遠くの親戚より近くの他人」という言葉があるが、遠く離れていても岸和田の下町人情は、語らずして寄り添っていてくれる。・・・ありがとう。

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