てんせいじんごっこ.blog

Home > スポンサー広告 > スポンサーサイト 文化芸能 > 天才子役は本当に天才なんだろうか(天才子役を考えるPart1)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

天才子役は本当に天才なんだろうか(天才子役を考えるPart1)

mana.jpg

 ドラマや映画で子役が涙流して迫真の演技したりすると「天才子役だ!」と騒ぎ始める人が居るんですけど、何をもってして『天才』と崇めているのか疑問がある。天才と呼ばれている子役達は本当に天才なんだろうか?

 そもそも天才とはどういう人のことを指すんでしょう。類稀なる才能を持っている人のことをそう呼ぶんでしょうけど、天才でもなんでもない一般の凡人が天才だと断定している処に問題があるように感じます。おそらくは自分を基準に判断しているのだろうけど、例えば卓球で有名になった元天才少女とか居ますよね。でも、一般の人は3~4歳から卓球の練習を毎日しないじゃないですか。卓球やったことある人でも中学の部活から始めたとか、そうじゃなければ温泉で必ず遊ぶとかでしょ?つまりは誰もが親しんでいる卓球でも、幼少の頃から毎日トレーニングしている人なんて稀な訳ですよ。フィギュアスケートの世界にも天才少女と称される女の子が居ますけど、彼女達にしても同じことが言えると思うんです。余程の片田舎や沖縄のような暑い所の人でなければ、誰だって一度や二度はスケートリンクで遊んだことはあると思うんです。だけど、幼稚園生の頃から毎日欠かさずスケートの練習している人なんて稀ですよね。だから、ちょっとかじった程度の人間が物凄く上手な子供を見掛けると「天才だ!」と感じてしまうだけのことなんだと思うんです。

 天才子役を称賛する言葉の大半に「大人顔負けの演技力」というのがありますよね、この「大人顔負け」という表現に問題があると私は感じます。先ず第一に、一般の人にとって演技とか芝居というのは、学芸会とか学習発表会程度の経験しかない訳で、演技のなんたるかを心得た観衆など殆んど居ない処に問題がある。言い換えればテレビドラマとか映画というのは非常に身近な存在なので、自分達に眼力があるという錯覚があると思うんです。つまり、誰しもがプチ芸能評論家状態な訳ですね。そんな誰しもがバラエティ番組のコメンテーター気取りでタレント批判しちゃ駄目なんじゃないかと思うんですよ。趣味でスキー始めたおばさんが地元の子供が滑ってるの見て「凄く上手ね!」と言っているレベルとなんら変わりはない訳で、それはその子が天才であるかないか以前に、おばさんのレベルが低すぎるということになる。そもそもおばさんという生き物は感傷的に物事を捉える性質があるので、おばさんが熱入れて「天才」なんて言っている話には、どこかに落とし穴があったりするもんで信用できない。そして第二に、大人顔負けという考え方がおかしいのだ。そもそも子供というのは大人に比べて先入観とか固定観念が非常に希薄なものなので、面白いとか楽しいと感じると、それが何であろうが異常な集中力を発揮してのめりこんでいく。子供を育てたことがある人なら誰しもが経験したことがあると思うが、自分の子供の成長の速さに驚かされたことは少なくない筈だと思う。意味も由来も知らないままに世界の国旗や東海道線の駅を全て丸暗記してしまう子供というのは珍しくない。それは大人顔負けということではなくて、子供だからこそなせる技なのではないでしょうか。

 一般の人達が演技が上手いと判断している基準に『涙』があると思う。大河ドラマの主役の幼少期を演じた少年や、民放のドラマで泣く演技が上手くできた子役が天才と呼ばれているのは事実ですよね。演技の経験や知識のない人からすれば、虚構の中で涙を流すことは偉業に感じるのだろうけど、実は演技の上で涙を流すのは、それ程難しいことではないのです。幼い頃に『おままごと』をして遊んだ人には分かると思うんだけど、おままごとには台本が無い。旦那さんが仕事から帰って来て、ご飯の支度をして待っていた奥さんが「おかえりなさい」というありふれた状況の取り決めだけでそれは始まる。決まったストーリーや台詞が無いのに、女の子はいつも自分の母親がそうしているように、母親の言動をなぞるように小言を並べて喋りまくる。そうしていく内に感情が乗って来て、おままごとの中で夫婦喧嘩が始まることはよくあった筈だ。昨夜自分達が繰り広げた夫婦喧嘩を翌日庭先で子供が再現したのを恥ずかしく思い、慌てて仲裁に入った母親も居るだろう。この『おままごと』の即興劇こそが、実は演技の基礎だったりするのです。おままごとで夫婦喧嘩をしている子供と、迫真の演技をしている役者には共通点があるのです。深夜番組で落語家が俳優を招いて即興劇をする『スジナシ』というのがありますが、これがその『おままごと演技法』に近いもので、この種のエチュードを「スポーツアクティング」という呼び方をすることがあります。おままごとの中でもっともらしい台詞を吐く娘に「なに分かったようなこと言ってるんだか」と笑いながら我が娘を愛おしく思ったりもするものですが、おままごとで夫婦喧嘩している自分の子供を天才と感じる人は少ないのではないでしょうか。しかし、画面の向こうで繰り広げられる『おままごと演技法』を見せられると、観衆はそれが迫真の演技だと称賛してしまうんですね。つまり、そこにある違いは見る側の姿勢にある訳なんです。

 演者が感情移入して涙を流すと感動的なシーンが生まれるのですが、この『涙を流す演技』に最も近い状態に居るのが子役なのではないでしょうか。子供は大人と違って社会的責任や世間体を気にする要件が少ないですし、感受性が高いのですぐに泣きますよね。その次に泣く状態に近いのが女性です。そして、大人の男性が涙を流す演技に最も遠い存在でしょう。逆に、大人の男性俳優にとって怒ったり怒鳴ったりする演技は、あまり難しくない状況なので真に迫った演技が出来るのですが、喧嘩の経験や憤りに乏しい『恵まれた環境』で育った女性タレントが修羅場を演じたりすると、とんだ茶番劇になってしまったりもします。そういう訳で、子役にとって泣く演技は難しいことではないという理由が分かってもらえると思います。そして、この涙が流れる感動的な演技は、その場面を演出している監督や演出家、それを撮影して編集して効果を入れているスタッフの技術力に支えられて作られていることを忘れてはいけません。おままごとと違ってドラマや映画にはカット割りがあり、涙を誘う音楽が流れるのです。そういった効果があるからこそ、感動的な演技が引き立てられているんですね。

 そして、大人顔負けの子役が天才といわれる理由に、他の子役の演技があまりにも下手だというのがあると思います。芝居にはおままごとと違って台本がありストーリーがあって、舞台には照明に合わせた、ドラマや映画にはカメラに合わせた立ち位置があります。そういった細かい段取りや制約がある条件の上で役者は演技をしています。そういった決まりごとが沢山あるので、演技力の無い俳優は決められた段取りに縛られた演技しかできなくなってしまうのです。そういうぎこちない状態を『予定調和』と呼びます。そしてこの予定調和を演じてしまう俳優の中で最も多いのが、応用が利かない子役達なんですね。撮影の為の多くの制約が、おままごとから『自由』を奪ってしまうのです。つまり『大人顔負け』の演技をする天才子役は、大人の俳優と同じようなことができる『大人びた』子役なんです。それは卓球が上手かったりスケートやスキーが上手な子供がそうであるように、幼い頃からの練習や学習から得た技術の結果であって、そういった子役を『天才』と呼ぶよりは『優等生』と表現する方が適切だと思うんですが、間違っているでしょうか。
関連記事

Comments

post
Comment form

Trackback

Trackback URL
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。