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稲村クラシック 2013 と 日本のサーフカルチャー Part 4

inamura classic

 日本でサーフィンが本格的に普及し始めたのは、1970年代以降だろう。映画「ビッグ・ウェンズデー」に例えるなら、ジェリー・ロペスが登場した頃、つまり、ショートボード革命が起こってからだ。サーフィンのスタイルは、娯楽的なものから競技的なものに変わり、本格的なプロサーファーも現れ始める。1980年代を中心としたサーフィンブームは強烈で、日本の企業が世界大会のメインスポンサーだったこともあった。この時代を支えた人達を「第2次サーフィンブーム世代」と呼ぶ人も居て、稲村クラシックの主催者である長沼氏も、その中の一員と言える。

 当時の流行りと言えば、先ずは暴走族だ。今日ならば、DQN(ドキュン)やヤンキーが流行の最先端だった訳だが、サーファーブームは、その次にやって来る。硬派に生きるか軟派で行くのかと云う話題の中に、「族上がりのサーファー」なんて言回しが混じっていたのは、当時中学生だった僕でも知っている。暴走族からサーファーへと鞍替えした人をそう呼ぶのだが、「そんな人は喧嘩っ早いから気を付けろ」と、先輩達から教わったものである。実際、そのような人は実在した訳で、稲村伝説にはそういった側面もある。それが誰だとは記しませんけどね。

 高度経済成長からバブル経済へ突入した頃、その恩恵にあやかって、ストイックにサーフィンをしていたローカル達の中には、ハワイやバリ島の本格的な波を経験した者も増え、プロサーファーとして海外の大会に挑戦するようにもなった。その反面、世間ではサーフィンをすることよりも、サーファーの格好をする「ファッション」としてのブームが本流であり、毎年夏になると、女の子目当てに海岸をうろつく「陸(おか)サーファー」が目立つようになる。あの頃、世間ではサーファー達を不良と位置付けており、真面目にサーフィンと向き合っていた硬派なローカルサーファー達は、ナンパ目的の陸サーファーに着せられた汚名を返すべく、その鍛え上げられた肉体を持ってして制裁を加えるようになった。これがローカリズムのベースとなっており、陸サーファーはナンチャッテローカルのルーツとも言えよう。

 今のように情報が溢れていなかったあの頃、サーフィンの知識を得るには、雑誌を読んで勉強するか、知り合いのサーファーに尋ねるしか方法が無かった。サーフィン専門誌が次々と創刊される中、メジャーな雑誌でもサーフィンを扱う機会が増え、UHFの洋楽番組では、週末の波情報を伝えるコーナーまであった。六本木のディスコにはサーファースタイルの客が溢れ、街の中にはトロピカルな空気が漂っていた。そんなこともあり、サーフィン業界はメディアの力によって潤って行ったのだ。やがて、いくらぶん殴っても埒が明かないことに気付いたローカル達は、サーフクラブやスクールを活用することで、アホなサーファー達を調教することを覚えた。丸井やムラサキスポーツで買ったボードやウェットスーツは陸サーファーの象徴であり、ローカルブランドでオーダーしたボードとウェットスーツは、本格的なサーファーの証とされるようになる。そして、この辺りから、稲村伝説が独り歩きを始めた。そんな印象が僕にはある。七里ヶ浜を中心にした稲村ヶ崎から小動岬の間には海水浴場が無く、波間に浮かぶのはサーファーのみ。西武が山を切り開き、大規模な住宅地を開発しても、どことなく閉鎖的な雰囲気がまだ残っていた頃の話である。

 本来の稲村クラシックは単なるローカルコンペなのであるが、サーフメディアが湘南を中心に発展した背景がある故、必要以上に祀り上げられた経緯があるのは否めない。大変失礼ではあるが、サーフィン雑誌の編集部には、物凄くサーフィンが上手い人達ばかりが顔を連ねている訳ではない。どちらかと言うと、サーフィンオタクが集まって作った同人誌的な部分が多い。稲村伝説には、横浜の文学青年が作ったサークルが伝説のバイクチームに昇華したのと似た背景がある。あまりこのようなことを書き連ねて僕の身元が判明したら厄介なので程々にしたいのだが、要は大袈裟なのである。それを言いたいがために、ここまでの長文を書いて来てしまったのだが、分かって欲しいのです。下衆な週刊誌を読んでいるオヤジが下衆なように、大袈裟な表現でヨイショするサーフマガジンを読む者には勘違いした輩が多い。海外の有名なサーフポイントで波に乗る日本のプロサーファーの写真には、チューブから抜け出せなかったり、大技を入れてもコケてしまったものが含まれている。日本で偉そうにしているプロサーファーが、海外のポイントの隅で小さくなっている姿を僕は何度も見たことがある。彼等のハッタリに騙されて来た読者は多い。馬鹿と間抜けの連鎖である。そういった波長は、同じ周波数を持つ者に伝達するのだ。しかし、今は違う。今活躍している若いプロサーファー達は、素直に真面目に頑張っている奴が多い。動画の時代だからね。

 誰もが気軽にサーフトリップ出来るようになった今日、24年ぶりに開催された稲村クラシックの波がどの程度の波だったのかは言うまでもない。あの程度の波は、バリ島のウルワツに行けば毎日のように楽しめるファンウェーブだ。あの波は「一生に一度の伝説の波」とは違う。にも拘わらず、ビッグ・ウェンズデーに感化されたマスメディアが誇大な表現で騒ぎ、サーフィンをよく理解していない人達が稲村ジェーン感覚で感傷に浸っている臭いがプンプンする。24年の歳月を経て輝きを失ってしまった稲村伝説は、そこに暮らすローカル達の手を離れ、虚構の中の伝説と化してしまった。僕としては、東京オリンピック開催決定に触発された長沼氏が「俺も開催しちゃお!」となった程度の話であって欲しいのだが、実のところはスポンサーとの絡みもあって、後に引けなくなってしまったのかもしれない。ともかく、今後発売されるサーフマガジンには、あまり派手な特集を組んで大袈裟に表現するのは、恥ずかしいので止めて貰いたいと願うばかりである。以上。
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