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「昔はよかった」と言うけれど に対する反応が酷い件について

「昔はよかった」と言うけれど 戦前のマナー・モラルから考える(大倉幸宏/新評論)
 http://www.shinhyoron.co.jp/cgi-db/s_db/kensakutan.cgi?j1=978-4-7948-0954-4

 「戦前の日本では、家庭で厳しいしつけがなされ、学校で修身が教えられ、みんなが高い道徳心を身に付けていた。しかし、戦後そうした美徳が失われ、今や日本人のマナー・モラルは完全に崩壊してしまった」。今日の日本で、道徳に反するような事件や出来事が起きるたびに、こうした言葉があちこちで聞かれます。ジャーナリスト、作家、政治家など、さまざまな立場の人が、あたかも常識であるかのごとく昔を美化し、今を否定する論理を展開します。これに疑問を呈する声はあまり聞かれません。しかし、多くの人が信じているこの言説は、実はまったくの誤解だったと言えます。本書は、こうした「常識」の誤りを明らかにし、戦前の日本人の道徳はいかなる状態だったのか、あまり知られていない歴史の側面を当時の新聞や書籍、統計データなどの資料をひもときながら紹介していきます。たとえば、列車の中で高齢者らに席を譲らない若者、車内で化粧をする女性、道路や公園にゴミを捨てていく人、偽造したラベルを貼り付けた食品を売る商人、子どもを虐待する親、老いた親を虐待する子ども……。今日、日本人の道徳低下の事例として取り上げられるこうした振る舞いは、実は戦前の日本にも当たり前のように存在していたのです。本書では、上記のような事例を中心に具体的な考察を展開しています。ただし、一概に「昔の日本人は道徳心が欠如していた」ということを主張するものではありません。道徳の問題には、その当時の時代背景や社会システムなどさまざまな要素が絡んでいますので、今日の基準で単純に良し悪しを判断できるものではありません。この点を踏まえたうえで、本書はより客観的な視点から道徳問題の本質に迫っていきます。さらに、今日起きているさまざまな社会問題をどう捉えるべきかについても、一つの視座を提示します。
(著者 大倉幸宏)

Amazon カスタマーレビュー http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4794809549/
・美化したいのが人間なんだね。
・共感しました
・ページ分ほどの内容は・・・
・何を結論として導き出したいのかわからない
・日本マスコミの宣伝を頼りすぎては、絶対だめです。

はてなブックマークでの反応 http://b.hatena.ne.jp/entry/ddnavi.com/news/174997/
・歴史の美化は,日本人だけではなく人類全体が罹患している不治の病です。
・窓から捨てずに弁当ガラは床に置きましょう、というのが、国鉄公認、推奨されるマナーだったんやで…
・あたりまえだ。。モラルでいえば今の10代,20代はこの100年で最も倫理的だろ。
・ホント「三丁目の夕日病」には辟易しますな。歴史を学ぶ重要性を感じます。
・衣食足りて礼節を知る

2ちゃんねる http://www.logsoku.com/r/poverty/1386652135/
・ネトウヨ「戦前の日本人はチョン!」
・電車の中から病院、映画館いつでもどこでもタバコ吸いまくりだったから
・ラング
・たいていジジババのがマナー悪いの見れば分かる
・昔は良かったっていうのは戦前の話じゃねーだろ
・今でもじいさんばあさんのがマナーひどいよな
・優先席独占して携帯で大声でくっちゃべってる70くらいのジジイがいて戦慄したわ
・団塊の爺婆のマナーの悪さを見れば分かるだろ そういう事だ
・団塊は日本史の悪夢
だからさぁ・・・、短絡的なんだよ。

 Amazonのカスタマーレビュー以外は本書を読んだ訳では無いんだろ? にも拘らず、短絡的に捉えて便乗する反応に呆れる。「じゃぁお前は読んだのか?」と言われれば、読んでませんよ。

 これは今の世にしてタイムリーな本ではあるだろう。そこそこ売れると思う。団塊世代や新人類から蔑まれるゆとり世代にとって本書は癒やしとなり、「そう言うあなた達だって」と反論出来る切っ掛けにはなるだろう。だが、この手の読み物に感化されて居直る輩が増えては困る。そもそも、「戦前の日本・昔の日本」といったひと括りで日本人を一緒くたに考えるのは間違いだ。庶民である我々は、その昔は平民であり、その上もあれば下もあったのである。つまり、平等ではなかったのを忘れてはいけない。今で言う「格差」以前の「身分の差」があったのだ。それを学校の授業で習ったから「知っている」と言っても、その時代の空気までは知ることが出来ない。だから、NHKの朝ドラなどで娘が父親から折檻されれば、「男尊女卑だ」と騒ぐ若者が後を絶たない。著者は「その当時の時代背景や社会システムなどさまざまな要素が絡んでいますので、今日の基準で単純に良し悪しを判断できるものではありません」と述べてはいるが、そこをどのように括ったのかが気になる。だけど、僕は金を払ってまでこの本を読む気にはなれない。

 著者 大倉幸宏 氏の解説には、

「戦前の日本では、家庭で厳しいしつけがなされ、学校で修身が教えられ、みんなが高い道徳心を身に付けていた。しかし、戦後そうした美徳が失われ、今や日本人のマナー・モラルは完全に崩壊してしまった」。今日の日本で、道徳に反するような事件や出来事が起きるたびに、こうした言葉があちこちで聞かれます。ジャーナリスト、作家、政治家など、さまざまな立場の人が、あたかも常識であるかのごとく昔を美化し、今を否定する論理を展開します。

とある。それに続けて、

多くの人が信じているこの言説は、実はまったくの誤解だったと言えます。本書は、こうした「常識」の誤りを明らかにし、戦前の日本人の道徳はいかなる状態だったのか、あまり知られていない歴史の側面を当時の新聞や書籍、統計データなどの資料をひもときながら紹介していきます。

って、矛盾してるだろ。

 つまり、今日のジャーナリストが犯している誤りを、過去のジャーナリストが書いた記事によって質そうって訳だ。では、今のジャーナリストは間違っていて、昔のジャーナリストは正しいのだろうか。例えば、当時の不道徳を取り上げた記事は、当時の道徳者の目線から語られている訳だろう。故に、それは今のジャーナリストが現代の不道徳を嘆いている様と変わらない筈だ。だとすれば、それは今のジャーナリストが「昔は良かった」と語っていることを「間違い」と否定出来る根拠には至らない。その辺りに1972年生まれの馬鹿さ加減が漂う。いくら当時の時代背景を考察したところで、我々はその当事者にはなれないのだ。仮に著者が明治生まれの祖父から聞かされた話を踏まえて語っていたにせよ、その話が著者の体験に代わることはない。全ては空想の中であり、仮説に他ならないだろう。それは、昭和ひと桁の両親から生まれた僕自身が想うことである。さて、はたしてその真相は如何に。大倉氏の諸説が僕の想像を凌駕する格言であれば良いのだが、それが小僧の屁理屈程度のものでしかなければ、残念な話である。

 例えば「戦前にもいた!席を譲らない若者」と帯にあるが、優先席が出来たのは僕が子供の頃だ。なぜ優先席が出来たのかと言えば、席を譲らない奴がいたからだ。列車に等級があった時代には、金を払って席を確保するのが常識だった。通勤などに利用される大衆列車の移動距離は短く、高速で運行している訳でもない。戦前には郊外の住宅地から1時間以上満員電車に揺られて通勤する人など殆どいない。つまり、昔の人は今のように席を譲らなければいけないほどの長距離を乗車していないのである。従って、「席を譲る」という常識などないのが当時の常識な訳だ。僕の母の話によれば、母の娘時分、通学に利用する電車には暗黙の内に座る席が決まっていて、良家のお嬢様が乗車される席には、おいそれと近付けなかったそうである。そうしたことは記事になどならない。著者がいくら当時の記事や書籍を読み漁ったところで、辿り着けない世界があるのだ。そうした話を聞かされて育った僕からすれば、このようなプロセスで歴史の側面を紐解き、その時代の匂いを知る人々の論拠を否定する気にまではなれない。ましてや、本にして売ろうとまでしているのだから恐れいる。

 この手の話になると、犯罪件数を示したグラフを用いて「昔の方が犯罪率は高い」と言う人(特に戦後の混乱期にあった犯罪率の高さに反応してしまう若者)がいるが、その計算方法がいい加減過ぎるのだ。そのデータに、家柄の良い家系の割合と、低所得者層の比率を加味していないのが大半を占めている。言うなれば、花形満も星飛雄馬も「同じ日本人」と定義している訳だ。それではお話にならない。「白木葉子も矢吹丈も同じ日本人だ」では、ストーリーが成立しないのだ。身分の差、貧富の差があって然りなのである。それが戦前であれば、その差はもっと広がる。年寄りの小言に文句を言うのなら、『巨人の星』や『無法松の一生』を観てからにしてもらおう。

 著者は政治家や文化人が語る「常識であるかの如く美化された昔」を「まったくの誤解」と断定し、常識の誤りを明らかにすると述べているが、そこがおかしいのだ。テレビのコメンテーターなどが語る「昔の常識」とされるものは「当時の理想」であり、事実ではない。ましてや、それが当時の日本人全てに当てはまる訳もなく、今の世に色んな人がいるのなら、昔にも色々な人がいたのも当然だ。むしろ、教育が行き届いてなかった戦前であれば、今よりも無学な人が沢山いたのである。それに対して「戦前の地位の高い人達にも非常識な人間はいた」と否定するなら、今いる財閥の末裔は「お行儀の良いボンボン」ばかりなのだろうか。

 要するに、「昔は良かった」という言葉が示しているのは「昔のちゃんとした人は今よりもっとちゃんとしていた」という意味であり、「今より昔の日本人の方が平均点は高い」という意味ではない。そこを正確に見極めないと、馬鹿のトラップに嵌るのだ。華族や士族ではなくとも、由緒ある家系の平民はいたのである。そこには正しい意味での世襲があり、その重責は今日の比ではない。今の庶民は大衆の中にあり、平均化された俗世間の尺度で「昔は良かった」を「捏造された美談」とあざけ笑う行為は下衆の極みである。昔の日本人には完全なボーダーラインがあり、その境界線を超えるから本宮ひろ志の漫画は面白いのだ。つまり、「今の方が良い」と言っている人は、「昔の底辺の日本人」を対象に平均点を出してしまっている訳だ。そこに気付いているか否かで、人としての価値が分かれるのを知るべきだろう。言葉尻の揚げ足を取って勝ち誇ったつもりが、逆に足を掬われる羽目になるのである。「昔は良かった」に我々が注目するべきなのは「言葉と事実」ではなく、そこにある「志」なのだ。

 歌舞伎とは元来、河原乞食が興した芝居小屋が起源である。だから僕は、襟を正して歌舞伎を崇めながら鑑賞する中流意識の庶民が解せない。先ずは芝居を楽しむことの方が大事なのに、うんちくを垂れて高座に上がろうとする。大倉氏の論点にも、これに似た部分があると感じる。彼は新聞社や広告制作会社に勤めていたが故に、ジャーナリストや作家、政治家などを「高尚とされる人達」として崇めた目線で捉えているのであろう。彼等と肩を並べて酒を酌み交わす機会があれば、著者の論調も変わって来るだろう。さて、僕の予想は当たっているのだろうか。ここはひとつ、この本を読んで確かめてみるのも一興だ。
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Comments

post
2014-04-05 01:30 
No.25
興味深く読ませていただきました。
ただ、「1972年生まれの馬鹿さ加減が漂う」との記述がちょっと引っかかります。
私も70年代生まれで、著者よりもさらに「小僧」ですが、生まれた年代だけを取り上げて「馬鹿」と書くのはいかがなものかと。
2014-04-05 14:41  Re: タイトルなし
Stormsurfrider No.26
コメント有り難う御座います

>1972年生まれの馬鹿さ加減が漂う
とは失礼な表現ですが、文脈から意図するところをくみ取っていただけると有り難く思います。

私は「新人類」やら「ピーターパン症候群」などの蔑称を賜った世代ですが、そう言った批判も、自分達と他の世代とを見比べる良い尺度だと考えます。偏見や先入観だけで他者を批判するのは浅ましい事ですが、的を得た叱咤は激励の範疇にあるのではないでしょうか。
2014-05-03 02:44 
Rumpelstiltskin No.27
初めてのコメント長文で失礼しますが、こういう記事はやはり本を読んでからにした方がよろしいのではないでしょうか。というのも、記事の内容にいくつか首を傾げざるを得ない部分があるからです。

まず、著者 大倉幸宏 氏の解説が矛盾していると述べ、その後で「つまり、今日のジャーナリストが犯している誤りを、過去のジャーナリストが書いた記事によって質そうって訳だ。では、今のジャーナリストは間違っていて、昔のジャーナリストは正しいのだろうか。」と続けていますが、大倉氏は別に今のジャーナリストが間違っていて昔のジャーナリストが正しい等とは言っていません。著者が否定しているのは、今のジャーナリスト、作家、政治家など、さまざまな立場の人の「昔の方がよかった」という「根拠に乏しい思い込み」です。今のジャーナリストが書く記事であっても、それがきちんとした根拠のある客観的事実であれば、否定はしていません(これは本を読めばわかる事です)。つまり、著者は「意見」は否定しても「事実」は否定していないという事です。また、著者は自身の主張の根拠として昔の資料を使っていますが、その資料の内容(当時の新聞記事等)が、後に誤報である事が判明したものなど事実と明らかに異なるものでなければ、いつの時代の資料を使っても問題ないでしょう。

また、記事の後半で「要するに、『昔は良かった』という言葉が示しているのは『昔のちゃんとした人は今よりもっとちゃんとしていた』という意味」とありますが、その「昔のちゃんとした人」とはどんな人の事を指すのでしょうか。これも本を読めばわかる事ですが、医者が麻酔を使って患者を眠らせている間にその患者に暴行したり、ある開業医が患者に麻薬の一種であるモルヒネを注射して87人を死なせたり、妊婦に「胎児は既に死んでいる」などと言って流産させてその際の手術代と入院費を取るなどしています。また、教師が生徒にストーカー行為をしたり放火をしたりして逮捕されるという事件が相次いで報道されています。これらは全て戦前に起こった事件です。犯罪は何も低所得者層に限った事ではありません。

また、「華族や士族ではなくとも、由緒ある家系の平民はいたのである。そこには正しい意味での世襲があり、その重責は今日の比ではない。」という文についてです。由緒ある家柄であればしっかりとした人間になるという考えを持つのは個人の自由ですが、それはあくまで「意見」であり必ずしも「事実」ではありません。

それから、上記の内容からは外れますが、記事中の「1972年生まれの馬鹿さ加減が漂う」は私も不適切な表現であると思います。生まれた年のような自分の努力で変えられないものをネタに人を馬鹿にする文面は、著者だけでなく、それ以外の1972年生まれの方々に対しても申し訳ないものではないでしょうか。誰かを叱咤をするのであれば、その人のおかしな部分のみを指摘すればよい事で、関係ない事柄を持ち出すべきではないと思います。
2014-05-03 03:10  Re: タイトルなし
Stormsurfrider No.28
コメント有り難う御座います。長文お疲れ様です。

先ず、もう一度タイトルを読み直して下さい。次に、記事の最後にある一行を読んで下さい。私的に思うのですが、批判的なコメントを寄せられる方の大半は、部分的に執着する余り全体を見落とす傾向が非常に強いと感じます。

次に、「1972年生まれの馬鹿さ加減が漂う」の部分に対しましては、これに続く「いくら当時の時代背景を考察したところで、我々はその当事者にはなれないのだ」と記した通り、私が特定の年代に対して揶揄している訳でない事は、本文をよく読んで下されば御理解頂けると存じます。私から申し上げる事は以上です。
2014-05-18 12:00 
No.29
横スレで失礼します。

>「1972年生まれの馬鹿さ加減が漂う」の部分に対しましては、これに続く「いくら当時の時代背景を考察したところで、我々はその当事者にはなれないのだ」と記した通り、私が特定の年代に対して揶揄している訳でない事は、本文をよく読んで下されば御理解頂けると存じます。

「1972年生まれの馬鹿さ加減」という、ある年代の人たちを一括りにする表現を使っている時点で、常識的に考えればいかなる文脈でもアウトだと思いますよ(厳密に言えば、それを他者の意見として引用する場合は話は別ですが)。上記の引用させていただいた部分も「私が特定の年代に対して揶揄している訳ではない」と言える根拠に何故なるのでしょうか。
2014-05-19 10:05  Re: タイトルなし
Stormsurfrider No.30
> 横スレで失礼します。

「横スレ」とは「股ズレ」の仲間か何かですか?

IPアドレスとアクセス解析を調べた結果、No.29 のコメントは No.27 Rumpelstiltskin さんが移動端末を利用して他人を装ったものと判明しました。この方は「2ちゃんねる」や「まちBBS」といった掲示板の他、色々な所へ書き込むのがお好きな方のようですね。
2016-08-24 15:16 
No.63
日本は幾度となく時代の波を流れて可能性を見つけ、手に入れました
この先来るであろう、最も良い時代へと向かうための無限の可能性です

今、日本はゆっくりと、でも確実に強く美しい光を見て歩き続けている
私は日本の持つ世界規模の、その大きな可能性を心から信じています

過去の清算ではなく、美しい未来へ向けての成算が必要なのではないでしょうか
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